d.lab Systems Design Lab

Chapter -6-

ポストコロナ時代の半導体

産業のコメから社会のニューロンへ

2020.04.27

膨大なエネルギーを消費するリモート社会

アメリカの友人は、森の中に家を建ててリモートワークをしています。EDA(電子設計自動化)ツールの開発が仕事なので、コンピュータとインターネットがあればどこでも仕事ができるのだろう、そう思っていました。ところが…

コロナウィルスはリモート社会の扉を開きました。オンライン会議は思ったよりも使えることが分かり、3人以上で相談をするのに便利です。

3000人が集まる国際会議もオンラインになりました。

2005年に京都で開催した国際シンポジウムの夕食会で、私はプログラム委員長として次のように挨拶をしました。

「みなさん、想像してみてください。将来、私たちはインターネットで国際会議を開くことになるかも知れません。研究発表もパネルディスカションも廊下での立ち話もオンラインです。皆さんはご自宅から参加できます。バンケットも?…ピザを宅配で取り寄せ、ビールを冷蔵庫から出して…それはちょっと味気ないですよね。今晩は京都の料理とお酒を堪能し、旧友との心交わる会話をお楽しみください。乾杯!」

今、国際会議の主催者は、まさにパンドラの箱が空いたと心配顔です。オンライン飲み会まで登場したのですから。


デジタルトランスフォーメーションやデータ駆動型サービスを支えるのは、ビッグデータの急増とAI処理の高度化です。そしてこのことが社会のエネルギー消費を爆発的に増大します。

2030年には、現在の総電力の倍近い電力をIT関連機器だけで消費するだろうと予測されています。さらに2050年には、現在の約200倍の総電力消費量になるだろうとの予測もあります。

その理由の一つは通信データの急増です。IPトラフィックが、2016年には年間4.7 ZBでしたが、2030年には4倍の17 ZBに増え、2050年には4000倍の20,200 ZBに増えるというのです。

加えてAI処理が高度になります。データに隠された意味を理解し、それをサービスに転化して社会に役立てるために、膨大な計算が必要です。

つまり、通信機器やコンピュータのエネルギー効率を桁違いに改善しないと、社会の持続可能な成長は望めません。

消費エネルギーの急増の原因は半導体にあります。そしてその解決も半導体が握ります。


半導体が産業のコメから社会のニューロンへ

2019年に世界で1.9兆個の半導体チップが生産されました。

その市場内訳は、製造業が15%、ヘルスケアが15%、保険が11%、銀行・証券が10%、卸売・小売が8%、コンピュータが8%、政府が7%、交通が6%、公共事業が5%、不動産・業務サービスが4%、農業が4%、通信が3%、その他が4%です。

驚いた方もいらっしゃると思いますが、通信はまだ市場が小さいのです。

一方で、次世代半導体(5nm世代)の需要をけん引するのは次世代通信「5G」です。

5Gやbeyond 5Gでは高い周波数が使われます。周波数が高くなるほど、電波は直進性が強くなり、かつ遠くまで届きません。したがって、より多くの基地局が必要になります。

また、低遅延で高度なサービスが期待されます。つまり高性能なデータ処理が基地局に求められます。5Gが次世代半導体を牽引する理由はここにあります。


今後は、モノのインターネット(IoT)、遠隔医療などのデジタル医療・ヘルスケア、モビリティを加えたサービスが半導体の大きな市場を形成するでしょう。これらは社会の神経系です。

つまり、半導体は産業のコメから社会のニューロンへと発展します。半導体はまさにグローバルコモンズ(国際公共財)なのです。


社会のエネルギー問題を解決するには、半導体のエネルギー効率を高めるしかありません。専用チップを使うことで汎用チップに比べて2桁程度電力効率を高めることができます。

しかし専用チップは開発コストが高く、誰でも作れるわけではありません。

そこで専用チップの開発コストを1/10にして、システムのアイデアを持つ人が誰でも専用チップを設計できるようにし、さらに最先端の半導体技術を用いてエネルギー消費を1/10に低くすることがd.labの目標です。

半導体が産業のコメから社会のニューロンへと発展するために、産業構造も過去半世紀の資本集約型産業から次の半世紀は知識集約型産業へと変革しなければなりません。


デジタル文明をつくるには

『サピエンス全史』を著したユヴァル・ノア・ハラリ氏は、テクノロジーが生身のスパイ代わりとなり、「皮膚の下の情報」も筒抜けになったと警鐘を鳴らします。

コロナウェルス感染拡大防止の中で、監視社会が形成されつつあります。テクノロジーが社会に与える影響が極めて大きくなりました。私たちの文明がどうなるのか?まさに瀬戸際にいるとの意見も聞かれます。

知恵があれば、テクノロジーがそれを実装できます。つまり、セキュリティやプライバシーを脅かすのも半導体であれば、これを解決するのも半導体です。

しかし、高度なセキュリティやプライバシー保護は、当然、半導体のエネルギー消費を増やします。つまり結局は、半導体のエネルギー問題に帰着するのです。

そしてその先には、「心」の問題があります。

デジタルは論理を扱うことに長けていますが、感性はアナログです。デジタルで人を幸せにすることの追究がこれから始まるでしょう。

五感とデジタルを相互変換するセンサーとアクチュエータ、感覚をフィードバックする制御技術、価値を交換する工学、テクノロジーが社会を危険にしない法体系、こうした議論なくして、「脳をインターネットに繋げる」ことを推し進めるわけにはいきません。

太古の昔、脳は社会を作り、心を生み出しました。人は自分の意図を知りそれを伝える言語と、論理的思考で認知能力を拡張する数学を獲得しました。数学は、やがて主観的な直感を超越した抽象的な記号体系に昇華し、ついに脳から溢れ出してコンピュータが誕生しました。コンピュータはチップを生み、チップはスケーリングによって指数関数的に成長し、コンピュータをダウンサイジングしました。そしてついに極小になったコンピュータが再び我々の身体の中に戻ろうとしているのです。

ポストコロナ時代の半導体の参照図
図:チップの電力効率を20年間に3桁改善した、2030年には脳の電力効率に迫る